世界最先端の循環型社会が江戸時代に存在していた!昔の文化や暮らしぶりとは
2023.03.07
リユース&リサイクル
限りある資源を効率的に使用する循環型社会の実現に向け、世界各国でさまざまな取り組みがなされています。人々の間でも徐々に関心が高まりつつあり、国だけでなく企業、市町村、家庭など自分達に何ができるのかと考え、行動に移す人々が多くなりました。
そんななか、江戸時代の暮らしが完全な循環型社会だったと注目を集めています。そこで今回は、新しい形の循環型社会を構築するために改めて江戸時代の暮らしを学び直してみようと思います。
世界最先端の循環型社会は江戸時代にあり!
なぜ、江戸時代の暮らしが注目されているかというと、江戸時代では衣食住のあらゆる場面でリサイクル・リユースが行われる完全な循環型社会だったといわれているのです。
その背景には、1641年から1853年の212年間続いた鎖国時代があります。日本との貿易を許されていたのは、オランダと中国のみで、資源の出入りが極端に少ない時代でもありました。そうなると、自国の資源に頼り暮らしていくしかありません。当時は生活に使う物資やエネルギーのほぼすべてを植物資源、太陽エネルギーでまかなっていたといわれています。
鎖国時代は他国からの侵攻がなく国内でもほとんど戦のなかった平和な時代であり、日本独自の経済や文化が発展した時代でもあったのです。さらに、人口も安定しており、江戸だけでも約100〜125万人と推定されています。そもそも、日本は島国で資源が少ない国でもあります。そのうえ、鎖国となれば、石油や天然ガスなどの資源はほぼなかったと考えられ、石炭の使用はあったものの、その量は微々たるものだといわれています。
意識して循環型社会を作り上げたのではなく、再利用可能な植物資源と太陽エネルギーに依存し最大限活用するしかなかった側面もあります。その結果として、自然と独自のリサイクルシステムが構築されていったのですが、その知恵や工夫、経験は世界が目指している循環型社会の理想ともいわれています。
江戸時代に学ぶ循環型社会
独自の循環型社会を築き上げた江戸時代はさまざまな工夫を凝らし植物資源を効率よく使っていました。具体的にどんな暮らしをしていたのか説明するのでみていきましょう。
(1)暑さ対策
江戸時代の人々は、暑さ対策に水や風など自然の力を最大限に生かして生活していました。今のようにエアコンもなければ、扇風機もありません。あったと思われるのは「うちわ」と「扇子」になります。また行水も頻繁に行われていたようですが、一日中、行水をするわけにもいかないですよね。
人々が行った暑さ対策は『打ち水』だといわれています。打ち水は、気化熱で気温の上昇も抑えられ、物理的に気温を下げるのに有効な手段です。江戸時代の人々は、夕方、玄関先に打ち水をして涼をとることに加え、道の土埃が舞わないようにしたり、客を招く時に玄関先や道に水を撒くことで、お清めをする意味もあったとのことです。打ち水は、近年も注目を集め政府も地球温暖化対策キャンペーンの一環として、打ち水を奨励するようになっています。
また、当時の江戸の人々が暮らしていた長屋も家の向きを十分に考慮されていたようです。表戸と裏窓が大きく設けられており、開けておくだけで風がよく通る設計になっています。直射日光はすだれやよしずで防いでいたとのことです。
また、江戸時代の道路は「脛(すね)まで泥につかる悪路」と呼ばれるほど酷い泥道ばかりでした。この泥道が天然の空調機として働いていたのではないかといわれています。こうして、江戸庶民はエネルギーを使わず暑い夏を乗り切っていました。
(2)リサイクル
鎖国もあり今のように便利な世の中ではなかった江戸時代は資源も物資も限られていました。人々は知恵と工夫で完全なリサイクル 文化を実現していたようです。
例えば、着物1枚とっても体に合わせて裁断する洋服とは異なり、細長い一反の布すべてを裁断し使用していたので無駄な切れ端が出ることはありません。成長と共に縫い直すことで長く使用することができます。しかし、キレイな着物も長く着ていると、ほつれてしまいすり切れた部分が目立ち着れなくなります。着れなくなった着物は、寝間着、おむつ、雑巾など形を変え転用されていきます。
さまざまなものに形を変えた着物は徹底的に使われボロボロになっていきます。しかし、ゴミとして捨てることはありません。使えなくなったらお風呂や釜戸、囲炉裏の燃料にして燃やされます。ここで終わりだと誰もが思いますよね。しかし、灰になった着物は肥料として再利用されます。
他にも、古紙再生、ゴミは燃料・肥料・埋め立て用に分別、使用済みの蝋燭を再度かためて再利用、建材や廃材は燃料、木くずは硫黄と混ぜて発火燃料として有効利用、釜戸の灰は肥料にリサイクル、使い古したホウキはタワシや紐に再利用、欠けた茶碗や陶磁器も焼きついで再利用、古い椀は塗り直してなど……。
江戸時代は修理屋という商人が多く活躍していました。リサイクルが徹底されているためゴミが出ることはほぼなく、江戸時代の街並みは驚くほど美しかったといわれています。
(3)植物資源・太陽エネルギーの活用
江戸時代の人々は生活に使う物資やエネルギーのほぼすべてを植物資源と太陽エネルギーでまかなっていたのですがどのようなものがあると思いますか?
代表的なもので行灯(あんどん)があります。小さな器にごま油、えごま油、菜種油、綿実油などの植物油を利用し火を灯す照明器具です。照明といっても、ほぼ明るさはありません。当時の人々は夜の娯楽も少なく、夜は寝るだけという考え方が一般的だったので暗くても問題がなかったようです。
他にも、藁(わら)や竹などを原料にさまざまな日用品を作っています。藁は収穫した100%を使い切って生活していました。20%を日用品作りに、約50%を堆肥に、残りの30%を燃料、その他に充てていました。具体的に日除け用の編笠、雨具用の蓑(みの)、草履(ぞうり)、米俵、鍋つかみなどです。
これらの植物を育てるために必要なのが太陽エネルギーです。米や作物を育てるには太陽の日差しと雨が必要ですが、雨もまた太陽エネルギーによって生み出されます。江戸時代の人々は植物と太陽エネルギーにより循環型社会を実現していたことが垣間見れます。
(4)リユース、リサイクル業者がいた
江戸時代には今でいうリユースショップや修理業者が大活躍していました。
・壊れてしまった鍋、穴があいた釜戸を修理する鋳掛け(金属製品の修理専門業者)
・割れた陶磁器を修理する焼きつぎ業者
・古紙を買いとり漉き返す紙屑買い業者
・壊れた傘を修理する古傘骨買い業者
・壊れた樽、使わない樽を買取り修理する古樽専門業者
・流れたロウソクのしずくを買い集めるロウソクの流れ買い業者
他にも、着物の古着屋、提灯の貼り替え、錠前直し、朱肉の詰め替え、下駄の歯入れ、鍋や釜、農具といった鉄・銅製品の修理、鏡研ぎなど……。壊れた物を修理してくれる職人、修理したものを再生し売る商人・お店がたくさん存在し江戸庶民の暮らしを支えていたのです。
(5)ゴミが出ない生活スタイル
江戸時代の人々は灰も有効活用するほど徹底したリサイクルを実践していました。ものを長く大切に、むだなく使うことを当たり前にしていた江戸時代の人々はゴミがほぼ出ない生活スタイルを確立していたと考えられます。
当時、江戸幕府は現在の江東区周辺にゴミ処理場を作っていたそうです。出されるゴミは天然素材、植物資源ばかりなので、時が経つと自然に分解されゴミ山になることがなかったとのことです。
(6)必要な分だけしか買わない
江戸時代に冷蔵庫はありません。保存方法としては、魚も野菜も燻製、干物、塩漬けなどにしていたようですが、基本的に保存食という考え方がありません。一度に多くの食材を購入できないという側面もありますが、当時の人々は毎日、必要な分だけ買って食べ切る習慣が身についていました。
無駄なく買い物をして野菜の皮、葉、茎なども使い切り、生ごみや野菜クズは肥料にして再利用しています。そのため食品ロスも少なかったといわれています。
【まとめ】
現代と江戸時代とでは気候変動もあり環境も時代も違うと誰もが思います。まして、江戸時代と同じ暮らしをすることは不可能でしょう。しかし、壊れたら捨てるのではなく修理する、必要な分だけ買う、ゴミを出さない生活を心がけるなど見習うべきところはたくさんあるのではないでしょうか。
人口100万人以上の大都市だった江戸は本当にゴミが少なくキレイな街並みだったそうです。すべてを同じにすることは不可能ですが、江戸時代の知恵を参考にゴミを捨てずに活かす生活を意識してみましょう。
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